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東京出版記念パーティー お礼のあいさつ

親愛なる皆さん、本日はいつも私を支援し、ご指導してくださっているたくさんの方々にお集まりいただき、ありがとうございます。昨年は弁護士時代に闘ってきた百人斬り訴訟の顛末をまとめて文春新書から『百人斬り裁判から南京へ』を出版し、今年は渡部昇一先生、八木秀次先生との鼎談を『日本を弑する 人々』としてPHP研究所から出すことができ、こうして今年もパーティを開くことができました。 ありがとうございます。

①2年9ヶ月をふりかえって-政治の閉塞感  
 政治家になりもうすぐ3年になろうとしています。この3年で日本をめぐる政治情勢は大きく変わってしまいました。日本は、そして世界はかつてない危機にあります。大規模自然災害、原油価格の高騰、農産物の高騰、食料不足。サブプライムローンによる世界の金融機関の損失はなんと100兆円に近くなると推計されています。
その一方で、日本の政治の現状はどうしようもなく行き詰まり、いいようのない閉塞感に包まれています。
先日、地元の女性支援者たちと座布団集会をしました。一人の支援者、その女性は中小企業経営者の奥さんですが、私に質問をしました。「自民党は一体日本という国を、どういう国にしたいのでしょうか、それがわからないのです」と。その素朴で本質的な問いかけに私は言葉につまりました。自民党は日本をどのような国にしたいのでしょうか

②日本の問題はなにか
この問いは「今の日本の根本的な問題とは何か」ということでもあります。今の日本の問題は、年金問題でしょうか。後期高齢者医療制度でしょうか。あるいは道路特定財源でしょうか。そうではありません。今の日本の根本的かつ最大の問題は、モラルの低下、そして国民道徳の退廃なのです。私たちは言葉では立派なこと言います。しかし、本当に本心からそう思っているのか、それが信じられないのです。その結果、お互いに誰も信用できず、自分のことだけを考えています。問題は、私たち自身であり、私たちが、拝金主義になり、社会正義への関心を失い、利己主義に陥り、他者に依存しようとしていることなのです。私たちは私たち自身の内なる敵と戦わなければなりません。
安倍総理が訴えた戦後体制の是正もまた同じなのです。過去60年余の敗戦の遺産を自分とは全く無関係であるように考えるのは、無責任です。私たちは戦後レジームという負の遺産を、自己責任として受け入れなければなりません。そうすることで、私たちは、戦後レジームを是正できるのは私たちしかいないとことを理解できるのです。戦後体制はもはや誰かから押し付けられたものではなく、主権回復後それを是正できなかったのは私たちの責任であり、自分には何の責任もないと考えることは、私たちの責任感を弱め、正義感を萎えさせ、道徳的に堕落させているのです。
今の日本の惨状は誰のせいでもない、私たち自身の責任なのです。まず、私たち自身がかわらなければならないのです。

③理念を語る
この閉塞感を打破するために、日本がどうあるべきか 政治家は明確な理念を語るべきです。この本のあとがきにも書きました。理念なき政策は有害です。ましてポピュリズムに毒された政策、政局のためにする無意味な立法は立法府の権威を貶めるだけでなく、国民に対する冒涜です。
一体政治は何のためにあるのか。資本主義や自由経済は、そして改革は何のためにあるのか。そして、人類の進歩とは何なのか。
政治や資本主義、改革はそれ自体に価値があるのではなく、人々の幸福のためにあります。そして、人類の進歩とは昨日よりも今日のほうが豊かであり、明日に希望がもてるということです。
私はアメリカ型の資本主義に疑問をもっています。強いものが勝つ、市場原理主義、行き過ぎた自由、これらは人々を豊かにはしません。公の精神やモラルを忘れ、拝金主義が行き渡り、経済だけでなく、政治までもが富める者の僕(しもべ)となっているように思えます。1%の豊かな人が国民全部の40パーセントもの富を所有している国、3900万人の人々が貧困ライン以下で生活に苦しみ、4500万人の人々が健康保険にさえ加入できず、充分な医療が受けることができない国を豊かな国といえるでしょうか。
ポスト資本主義の世界は、資本主義の行き着いた先、アメリカ型資本主義が人類を幸せにしたのかという根本的な疑問から出発しなければなりません。

④ 道義大国を目指す 
日本は道義、道徳を第一に考える政治を確立しなければなりません。政治は、損得や利害ではなく、公共心によって動かされるべきものです。
政治の役割は、障害や病気、高齢などの理由で恵まれない人々の暮らしを向上させるために全力を尽くすことです。ごく一部の裕福な層と多くの貧困層のある国ではなく、頑張る能力と意欲のある人が報われ、そして、頑張りたくても頑張れない人、頑張っても結果が出せなかった人も、人間らしく暮らすことができ、必要な医療を受けることができるように、報われた人々が社会的責任を果たす国、これが日本のめざすべき日本型資本主義です。
 日本は、経済大国であるだけではなく道義大国を目指さなければなりません。倫理観の高い、自由で民主的な国、国民が日本人であることに「誇り」を感じ、その歴史と伝統を世界に誇れる、そして世界から尊敬される国、経済的に繁栄し、しかも社会的正義が貫かれる国です。日本という国は、もともと、面積は小さく、貧しいけれども、心豊かで、誇り高い、歴史と伝統のある国、小さくても強い国なのです。そして2500年以上ものあいだ、天皇陛下が国民の安寧と世界平和を祈り続けてこられた国でもあります。そういう日本だから道義大国を目指すべきだし、目指すことが出来るのです。
 
私一人の力は小さいです。しかし私は常に行動する政治家でいたいと思っています。トーマス・カーライルは「その思想がたとえ高潔なものであっても、人間の最終目標は思想ではなく行動である」といっています。たとえ私一人の力は小さくても 高邁な理想にむかって行動し、皆さんのひとりひとりが行動するとき、この国はかならず道義大国として再生すると信じています。

 皆様に感謝しています。本日はありがとうございました。(平成20年6月9日)

福井県戦没者追悼式

追悼の辞

本日ここに福井県戦没者追悼式が挙行されるにあたり謹んで追悼の辞を申し述べます。

 敗戦から63年の長い年月が流れました。敗戦で一度は焦土とかした日本は安全保障を他国にゆだねることにより経済復興にまい進し、世界屈指の経済大国に成長しました。しかし、今のこの平和で豊かな日本はさきの大戦で 祖国のために命を捧げられた幾多の方々の尊い犠牲のうえに成り立っていることを思うとき感謝と敬意の気持ちで一杯になります。

 愛する家族を守るため 愛するふるさとを守るため そして愛する祖国を守るために 出撃をし 戦火に倒れ もしくは戦災に見舞われ その命に代えて 大切なものを守り抜いた 尊い行為は 私たち日本人のすべてが決して忘れてはならないことです。 そして結果は敗戦という悲劇に終わったけれども 命に代えて守ろうとした日本という国そして日本人の心を私たちがきちんと引き継ぎ子孫まで伝えていかなければなりません。英霊のお心は私たち日本人の心として今も生き続けているからです。そして今私たちがなによりもおもいださなければならないことは 自分の国は自分で守るという その気概でありましょう。

 あの戦争の評価についてはさまざまな見方、考え方があります。しかしたとえあの戦争が現在の価値観からすれば侵略戦争であるという評価がなされるとしても またいかなる歴史観にたとうとも 祖国のために命を捧げた人々に対し 感謝と敬意を抱くことの出来ない国のモラルの再興はありません。そしてまた命を捧げて祖国を守った人々に感謝のできない国の安全保障もありえないのです。 
 一家の大黒柱や息子を戦争でなくされたご遺族の悲痛なお心やその苦難に充ちた道のりを考えますと心が痛みます。そのような苦難を乗り越えて立派に戦後を生き抜き、戦後日本の復興にご尽力なされたご遺族のご努力とご精進に心より感謝いたしますとともにそのご遺族の姿は戦後の復興にかける日本人全体に勇気を与えてくださいました。

 私も日本人の一人として、そして政治家の一人として 英霊の尊いお心を引き継ぎ この国の平和と繁栄 ひいては世界平和のために 一命を捧げることをお誓い申しあげて追悼の辞といたします。
 ありがとうございました。

平成20年8月27日  衆議院議員  稲田朋美

空港等への外資規制問題について5月2日付け毎日新聞に書きました。新聞では字数に限りがありましたので割愛していないものをこちらに掲載させていただきます。

 国の安全確保やエネルギー政策からそもそも無制限にオープンであることになじまない分野がある。空港や電気事業もそのひとつだ。諸外国を眺めても空港や原子力、電気事業を無制限にオープンにする国は少ない。たとえ民営化しても、株の多くを政府や公的機関が保有し外資規制をするのが一般だ。今回政府は、TCIファンド が電源開発株式会社(Jパワー)の株式を20%まで取得しようとした届出について、外為法に基づく中止勧告を出した。当然のことだが、関係者の勇気と決断には敬意を表する。
Jパワーは送電設備や原子力発電所など、わが国の電力の安定供給をになう企業であり、代替が不可能な独占的企業である。そこへTCIのような(短期)収益のみを重視する外国ファンドに一定額以上直接投資させるのは危険である。 特に原子力発電はわが国総電力の3分の1を占める基幹電源であり、現在Jパワーはわが国核燃料サイクルの要となる大間原子力発電所を計画している。そこでのMOX燃料(非核保有国で使用済燃料を再処理してプルトニウムを抽出しMOX燃料を製造できるのはわが国だけ)よりも輸入ウラン燃料の利用の方が圧倒的に低コストであるから、外資にはこのような長期の視点での設備投資への理解は期待しがたい。
今回の中止勧告について、「資本鎖国」というイメージ(朝日新聞)とか「日本の閉鎖性に懸念」(日経新聞)と批判する向きもあるが、OECDでも認められた歴とした国際的共通ルールに則ったものであり、世界に恥じることはないし、そこまで「オープン」にこだわる理由はない。
空港の外資規制への反対も、2006年3月に出された政府方針「2010年に対日直接投資残高をGDP比で倍増となる5%程度とする」に逆行し日本の市場が閉鎖的だというメッセージになるという言い方がされた。
しかし、投資は促進されたが安全は脅かされたというのでは本末転倒である。対日直接投資を促進するのはそれが日本の国益にかなうからであるはずで、国益を犠牲にしてまで対日投資を倍増させなければならない理由などどこにもない。もともと期限、数値を決めて対日投資を促進する意味もない。日本は外国投資がなければインフラ整備できないような発展途上国ではない。1500兆円ともいわれる国内個人金融資産が国内投資にまわるような努力と工夫をすべきである。外資が投資しその圧力がなければ企業の経営合理化が進まないというのもおかしな議論である。
また、外資が悪くて国内資本がよいというのは差別だというが、国益を享受する国内資本(裏返せば国が滅びれば国内資本も滅びる)の方が利益だけでなく国益のことを考えて行動するだろうし、悪意の国内資本からは外資規制とは違った方法で防御する必要がある。悪意の国内資本に効果がないから外資規制は意味が無いというのは詭弁であり論理の飛躍である。現に外資は国内資本に比べて犯罪捜査もしにくいし、それを外国に依存できると考えるのは平和ボケだ。
この外資規制の問題は、そもそも完全民営化が正しかったのかという反省に立って議論しなければならない。民営化信仰に近い考えがまかり通っているが、民営化は、経営効率化、財政健全化のために有効だが、かつての八幡製鉄所や富岡製糸場のような、そもそも民営であるべき「工場」の民営化と国の安全保障に直結する空港やエネルギー基幹設備である電気事業の民営化を同列に考えてはならない。民営化するにしても、資本の論理だけではない長期的な国益その他の観点が必要な事業については、政府が一定数の株を保有し続けるなど別の考慮があるべきで、要するに外資規制は完全民営化というボタンの掛け違いの次善の策なのである。

映画「靖国」の助成金問題について産経新聞正論に書きました。新聞では字数に限りがありましたので割愛していないものをこちらに掲載させていただきます。

 表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。
私と若手自民党議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)は、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)自体ではなく、そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成金を出していること、その一点を問題にした。
発端は「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」という平成昨年12月20日号の週刊新潮の記事だった。この映画を試写会で観た複数の人が映画のなかに弁護士時代の私が映っていると教えてくれた。もちろん私はこの映画で観客の眼にさらされることを同意したことはない。今年の2月に伝創会で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映をお願いした。当初文化庁からは映画フィルムを借りて上映するという話があり、日時場所も設定したが、直前に制作会社が一部の政治家だけにみせることはできないというので、すべての国会議員向けの試写会になった。一部のマスコミに歪曲されて報道されたような私が「事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。公開前かどうかは私にとって何の意味もなく、映画の「公開」について問題にする意図は全くなかったし、今もない。  
 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。①日本映画である、②政治的、宗教的宣伝意図がない、という助成の要件を満たしていないからだ。まずこの映画は日本映画とはいえない。同振興会の平成20年度芸術文化振興基金助成金募集案内によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。
映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されてはいるが、取締役はすべて(名前からして)中国人である。この会社は、平成5年に中国中央テレビの日本での総代理として設立されたという。映画の共同制作者は北京映画学院青年電影製作所と北京中坤影視制作有限公司である。製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。このような映画が日本映画といえるだろうか。ちなみに政治資金規正法では、日本法人であっても外国人が出資の過半を有する会社からは寄付を受けてはいけない扱いが原則である。
 さらに映画「靖国」は、政治的存在である靖国神社をテーマとして扱っており、そもそもが政治的宣伝である。小泉総理の靖国神社参拝をめぐっては、国内外で議論があった。特に日中関係は小泉総理の参拝をめぐって首脳会談ができなくなるほど政治問題化した。
映画「靖国」のメインキャストは小泉総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告らである。私も弁護士として、靖国神社の応援団としてその裁判にかかわった。その裁判で、原告らは一貫して「靖国神社は国民を死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画「靖国」からは同様のメッセージが強く感じられる。映画の最後でいわゆる「南京大虐殺」にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。
いわゆる「南京大虐殺」の象徴とされる百人斬り競争―私は、戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬り競争は創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。結論は遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの内容を信用することが出来ず甚だ疑わしい」とされた。ところが映画「靖国」では、この百人斬り競争の新聞記事を紹介し、「靖国刀匠」をクローズアップすることにより、日本軍人が日本刀で残虐行為を行ったというメッセージを伝えている。
 これらを総合的に判断すると、映画「靖国」が、「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。なお、この映画には肖像権侵害や靖国刀が靖国神社のご神体だという虚偽の事実の流布など法的にも問題があることが有村治子参議院議員の国会質疑で明らかになった。 
 私たちが文化庁に上映を依頼したとき、映画は既に完成し国内外で試写会が行われていた。配給会社によれば、釜山映画祭(韓国)、サンダンス映画祭(米国)、ベルリン映画祭(ドイツ)等の国際映画祭で高い評価を得たという。
私は弁護士出身の政治家として、民主政の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っているのだ。今回の上映の要請が「事前検閲であり表現の自由に対する制約」という捉え方をされ、そのような誤った報道をされたことは、私の意図をまったく歪曲したものであり、許し難い。民主政の根幹である表現の自由によって私の政治家としての発言の自由を規制しようという言論があることにも憤りを感じる。外国による政治的宣伝の要素のある映画への助成は極力慎重に行われる必要があるだろう。表現や言論は自由であり、最大限尊重されなくてはならないのは当然だが、そのことを理由に税金の使われ方の妥当性を検証する政治家の言論の自由を封殺しようとすることは背理である。

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